えー、この車輌の名前は雷轟としましたが、まさかそれから数年経ってコトブキヤからFA轟雷なんてものが発売されるとは夢にも思いませんでしたー。
さて以下妄想
ノモンハンにてソビエト軍の圧倒的な火力を見せつけられた日本軍は、それまでの軍備を一層増強させる必要性に迫られた。
それに伴い、関東軍では内密に新型車輛の研究にとりかかる。
要求された性能は
「九七式中戦車以上の火力」
「単独で敵陣地を走破、また渡河ができる無限軌道(キャタピラ)に代わる装置」
であったが、あくまで歩兵支援車輛で、対戦車戦闘は考えられていなかった。こうして試作車輛「関試車 壱号」が完成する。これは九七式中戦車に脚が生えたような奇抜なもので、試運転もうまくいかなかった。
戦局が悪化する頃、参謀本部が偶然「関試車 壱号」の情報を知り、陸軍を挙げて「決戦車輛」との位置づけで開発が進められることになる。
当初はインパール作戦への投入が期待されたが開発は難航し、大陸打通作戦にも投入できずいたずらに年月が浪費された。
この頃になると連合軍の強力な戦車に対抗できる戦車の開発が前線では再三要求されていたが、三式、四式、五式戦車の開発生産が遅れたのも「決戦車輛」に余分な労力が割かれたためとも言える。
なんとか1945年7月に形になった「決戦車輛」はケロ甲種「雷轟」と名付けられ、いまだ試作機の段階でもあるのにも関わらず「五式決戦車輛」と制式され、本土決戦に向け九州への配備計画が進められたが量産される前に日本は敗戦を迎え、「雷轟」も処分され関係文書も消却された。
動力はナチスドイツとの技術交換で得た発電機を使い、各間接はモーターで動く。余談ではあるが、この「雷轟」の図面を見たヒトラーは狂喜し、生産を命じたという話が残っている。
砲塔部は九七式中戦車と同じ57ミリ砲1門、7.7ミリ機関銃1丁、車体にも7.7ミリ機関銃、左砲腕には21センチ噴進砲(ロケット砲)5門、右砲腕には機械式給弾が可能な10センチ榴弾砲が装備されている。
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